光差す道。

高台を走る道

■宵月に惹かれて

夜の港で工業地帯を散策していると、灯に点々と照らされながら背の高いプラントの合間を縦横に遠くへと続く作業通路にふと気持ちを奪われる。
手の届かない天空を曲がり繋がる細い道を見上げて足を止め、知らず現実感を喪失させる特徴に溢れた造形を眺めている間に、架空の世界へと静かに誘われているかの様な不思議な感覚に包まれる。

何処までも遙かな世界へと意識を運ばれそうな錯覚を呼び起こすその景色は、派手さとは縁遠い限られた色彩をまといながらも、何故か心地良く華やかな印象を胸の内へと残す。
人通りも疎らで静かな港に立ち、その闇の奥に待つ何かを見てみたいと云う漠然とした欲求と揺れるように戯れながら、泊まり仕事の合間に淡々と繰り返される散策時間は涼やかに過ぎて行く。
誰かに呼び戻されるまでのささやかな自由を、上を向きゆっくりと足を踏み出しながら、秋を予感させる穏やかな風の中で今日も1人楽しむ。

(写真/遙か先へと続く作業路の行く末を夢想する、そんな他愛ない日々)

灼熱の風。

JFEスチール東日本製鉄所千葉地区

■情熱の一時

毎年夏の時期になると、各工場が主に地元を対象とした見学会やイベントを幾つも開催している。
去年も何度と足を運んだ製鉄所関係は特に豊富で、今年も色々な相手と一緒に黄金色に染まった鋼板が薄く引き延ばされていく過程を数100メートルに渡って歩きながら間近に体験する機会に恵まれる。
工場に惹かれる馴染みの顔触れ男性3人女性2人で訪れたJFEスチール東日本製鉄所ではいつ足を踏み入れても圧倒される第3熱間圧延工場で、男性2人女性2人で敷地内を散策した新日鐵君津製鉄所では独得の雰囲気を纏う重厚感溢れた厚板工場で、1000℃を超える高温の鋼板が壮大な音と熱気を伴って凄い勢いで行き来する様子を、それぞれの個性と共に全身で強く受け止める。
製鉄所内の作業に就いての詳しい解説を学生達に混ざりながらも丁寧に聴かせていただいた後、君津では遊覧船に揺られながら千葉港近辺までの長閑な航海を賑やかな家族連れに囲まれてゆっくりと楽しむ。
そうして、また1年後の再訪を胸に誓いながら、気が付けば瞬く間に過ぎ行く魅力的な時間は子供達の笑顔と共に穏やかに終りを告げた。

(写真/夏の日差しに烟る溶鉱炉)

夏への架け橋。

浮島に輝くプラント

■風の巻く丘

梅雨も明け、抜けるような青空の下を、久し振りに自転車で走り始める。
気軽に漕ぎ始めたペダルで向かうのは、職場の引っ越しに伴い以前より幾分か近くなった川崎臨海工業地帯。
暫く慌ただしく過ごしていた状況の合間を縫って、人通りの賑やかな繁華街を抜け、大型車両の行き交う幹線道路へと静かに進む。
蝉の鳴き声が遠く響く暖かい日差しの中をそのまま駆け続けると、目的地へと近付いた証となる潮風が勢い良く向こうから流れて来る。
やがて、埋め立て地へと誘ういつもの橋が徐々に見えてきて、馴染み深い景色が眼前へと広がり始める。
そうして、場所毎に足を休めながら多種多様なプラントが遠く近くに林立する様子を風に吹かれながら眺めていると、夏らしく元気な雲が漂う空へと次々に飛び立つ旅客機が、高らかに自己主張をして頭上を追い越して行く。
踏切の音を引き連れ長閑な調子で工業地帯を横切る三両編成の貨物列車と併走しながら、夏休みを思い思いに過ごす様々な年齢の人達と時に擦れ違う中を、炎天下に強い陰影を形作るプラントの力強さを見詰めていると、気が付けば束の間の工場散策はそのまま穏やかに終了時刻を迎える。
ここ暫く出会えなかった勢いのある情景に心地良く背中を押されるようにして徐々に速度を増した自転車は、打ち合せ相手が待つ街の喧噪へとまた戻り始めた。

(写真/工業地帯へと続くいつもの橋から)

必要である事。

高萩の製紙工場

■壮大な機能美と戯れる

自分にとって工場へ魅力を感じる大切な要素の1つとして《機能美》と云うポイントはとても大きく、大小様々と聳える蒸留塔や高炉も、構内を縦横に走り複雑な陰影を形作る配管も、表情豊かに佇むタンク類も、その溢れるばかりに個性豊かな造形全てが、各々目的に則し計算された結果がその姿へ表れている事に特に強く惹かれる。
春先に行ったクルーザーを借り切っての京浜工業地帯巡りを控えての打ち合せで何度と話題に出た『日本文化私観』、その中で坂口安吾は《美は、特に美を意識してなされたところからは生れてこない。》と云う視点から工場に就いてこう語る。
《なぜ、かくも美しいか。ここには、美しくするために加工した美しさが、一切ない。美というものの立場から附加えた一本の柱も鋼鉄もなく、美しくないという理由によって取去った一本の柱も鋼鉄もない。ただ必要なもののみが、必要な場所に置かれた。そうして、不要なる物はすべて除かれ、必要のみが要求する独自の形が出来上っているのである。それは、それ自身に似る外には、他の何物にも似ていない形である。必要によって柱は遠慮なく歪められ、鋼鉄はデコボコに張りめぐらされ、レールは突然頭上から飛出してくる。すべては、ただ、必要ということだ。》

他人の手によるプラントさえ一目でその性能を推察出来る設計士達が、規模と効率と安全性を考慮し各々の個性を通じ造り上げる剥き出しの機械が、どんなモダン建造物にも引けを取らない繊細且つ力強い世界を獲得していると云う事に嬉しくなる。
映画やテレビで眼にする空想の世界がフィクションとして創り出す数多の舞台にも負けない素晴らしい情景が、実は自分が過ごしている日常の直ぐ脇に広がっていると云う事実は、どんな時も心の中へ絶えず胸躍る躍動感を与えてくれる。
資源の乏しいこの国を維持する為に欠かせない大量の産業製品を生み出し続ける場所、ささやかに繰り返し過ぎていく自分の生活を陰で支える礎となる場所、その空間が日々見せる輝きにこれからも静かに憧れ続けるだろう。

(写真/夕陽に照らされるコンビナート)

西澤 丞 写真集 『Deep Inside』

■工場以外に惹かれる場所として働く巨大施設があり、機会ある毎に様々な公共施設を興味深く見学して歩いていた自分にとって、東京トンネリックスジオサイトプロジェクト首都圏外郭放水路と云った壮大な空間には、本当にその1つ1つから強い衝撃を受けました。
そんな個人的に思い入れの深い施設全てで公式カメラマンを務められる西澤丞さん待望の写真集が、先日発売となりました。


■西澤 丞写真集『Deep Inside』(求龍堂:特設サイト)

前出の施設以外にも、KEK(高エネルギー加速器研究機構)やJAXA(宇宙航空研究開発機構)と云った最新の研究施設も取り上げられ、最初から最後まで存分に楽しめる内容となっています。
工場独得の威圧感漂う佇まいから何処か遠い未来を感じるような人には特にお薦め出来る、正に最先端技術の粋を集めた本当に嬉しい1冊です。

■もしも、この本に詰まった魅力溢れる世界に惹かれてしまった方、今週末まで青山ブックセンターのギャラリーにて実際の作品が展示されていますので、是非機会を見付けて足を運ばれてみては如何でしょうか。

2006年6月27日(火)〜7月9日(日)
『Deep Inside』 西澤 丞写真展

■先日《ネイキッドロフト》で開催されたイベントでは、写真集の嬉しい製作秘話も聞けました。

何度でも、金属の森を巡り続ける。

夕陽が差す千鳥町

■時の狭間に夢現

前回、密度の高い工場巡りを過ごした後は、職場を抜けては京浜工業地帯に連なるコンビナートを少しずつ眺めて歩く日が続く。
多くの工場好きに惜しまれながら先月末で閉鎖した横浜プリンスに集まって、根岸側に広がる魅力溢れる景観をスイートから眺めるイベントも大勢の仲間と賑やかに催し、また1つ掛け替えのない想い出となって行く。
そんな日々の中、再度また先日と同じ相手と御一緒して東京湾に連なる工場達を観て歩く機会が訪れる。
工場の持つ躍動感を最も豊かに演出してくれる曇天覆われる空模様を見上げながら、今回も鶴見線の始発駅で時に小雨の降る中を落ち合って、穏やかに車での小旅行が幕を開ける。
低く迫る灰色の空に押し迫られる様な夕方の港を、歴史を感じる深い錆色も未来を見詰める様な輝きも等しく胸に納めながら、順に無理のないペースで進んでいく。
いつの間にか虹の橋が空を駈ける様子を並んでゆっくり見上げていると、何処か日常から切り離されたような不思議な感覚がまた静かに降りて来る。
湾岸線から見渡す景色に遠くまで続くコンビナートの規模を実感しながら、雲の切れ間から橙に染まった夕陽が覗く中、遙かに富士を望むプラント散策は和やかに続く。

間近から規模の大きな工場を仰ぎ見たり、何処までも途切れず連なる工場を高台から眺めたりしながら、前回と少しずつコースを変えつつ闇の訪れた京葉工業地域も楽しく歩く。
そうして、1つ1つ確認するように車内で何度と《工場の何処に惹かれるのか》を互いに語り合う楽しい時間は、瞬く間に過ぎて行く。
いつも通り、金属が重なり魅せるその情景に様々な感慨を湧き起こさせられる一晩は、徐々に千葉港へ向かう行程と共に、やがて少しずつ終りが近付いて来る。
工場へ対する気持ちを誰かと共有出来る嬉しい一時も、終電時刻の訪れと共に笑顔で一旦お別れ。
ここ暫く梅雨の合間に慌ただしく職場の引っ越し作業が続いていたが、また早い時期に、次は久し振りの自転車でのんびり港を廻ってみようと密かに誓った。

(写真/アクアラインへ向かう車窓から)

垂れ込める空に想いを。

曇天の夜光

■遠く輝く港を駆けて

工場の何処へ惹かれるのかは人それぞれ本当に個性が表れるけれど、それでも根本には誰しも共通する気持ちが流れているのか、そう云う話を目を輝かせて語って貰える瞬間が本当に楽しく、時間が過ぎるのも忘れてつい聴き入ってしまう。

慌ただしく仕事の合間を縫って、そうして初めて会う様々な相手から工場の内包する多彩な魅力に就いて興味深い話を聞かせて貰える嬉しい機会が最近増えていたものの、それ以外は相変わらず泊まり込み続く職場の窓から見える、頻繁に行き交う列車の向こうに広がる低い空の果てに待つ金属が重なり連なる風景へと想いを馳せていたある日、久し振りに誰かから工場地帯を案内いただける事が決まる。
ここ数ヶ月、自分の好きな景色を誰かに案内して歩く事が多かった為か、普段眺め過ごしている場所とどう違った世界を垣間見る事が出来るのかを楽しく想像していると、遠足を控えた子供の様に瞬く間に当日が訪れる。
作業が一段落した職場を後に、ネットで過去に幾度か言葉を交した事のあったその初顔合わせの相手と海芝浦へと向かう駅で落ち合い、早速車での工場巡りが始まる。
いつもの通い慣れた道を行く様に何事もなく走り始めた車の窓から見上げる夕方近い工業地帯は曇天に覆われ、今にも崩れ出しそうな空模様。
何処か色のくすんだた無骨な風景の中を少しずつ言葉を交しながら進むと、全身に錆を浮かべたプラントが見えて来る。

灰色の背景を従え暗く佇むその大きな姿から不思議な存在感を感じながら、暫く人通りのない道の端でその様子を仰ぎ見て過ごす。
心に響く情景に嬉しくなりながら淀みなく続く工場散策の旅は、経年を感じる幾つかの工場を辿って北上し川崎へと入ると共に、金属の肌が輝く馴染み深い景色へと変わって行く。
途中、川崎を活動拠点としているバンドが地元を象徴する風景として工場の姿をフライヤー用に写真へ収めている場面と偶然居合わせ、そこで伺った真っ直ぐと話す彼等の言葉に、ここ最近街中でも工場に対する気持ちを耳にする新鮮な機会が増えて来ている事を徐々に実感する。
いつもと変わらない大好きなプラントを一望しながらそのまま高速へ入ると、今度は一路海底を通って京葉工業地域へ。
間近に届くような視点からは一転、日没と共に訪れた暗闇の向こうに今度は壮大な化学コンビナートが遠く見渡すように待ち構えていた。

住宅地の片隅に不意に現れるそのささやかな公園で暫し眺めを眼に焼き付けていると、いつかここで一晩でも過ごしてみたいと誰ともなく言葉が洩れる。
工場に対する情熱溢れる言葉と共にテンポ良く巡るこの旅は、以前に1度迷い込んだまま明確な位置を把握出来ていなかった場所や、馴染みの風景のまた違った佇まいを転々と廻りながら、内房の南から沿うように続いて行く。
そうして、時折小雨を肌に感じながら深夜まで続いた心弾む時間も、最後に紹介して貰った取って置きの場所で大団円を迎える。
終電時刻間際まで素晴らしい時間を過ごさせていただいた案内役に心からの礼を言い、まだ喧噪漂う池袋で再会を静かに誓って充実した一時を後にした。

(写真/蠢くように配管が闇に浮かぶプラント)